作品概要
映画『学校Ⅳ』は2000年11月11日公開のシリーズ4作目。今回は学校という舞台を離れて、不登校の中学生が東京から鹿児島県の屋久島までヒッチハイクをしながらいろいろな人たちと出会い、数々の貴重な体験を経て成長する物語となっています。
なぜ学校に行かなければいけないのか?
なぜ役に立たない勉強をしなければいけないのか?
一人前になるとはどういうことなのか?
15歳の多感な少年があたりまえの疑問を抱えながら、2週間で大きく成長します。
主なキャスト
- 川島大介(主人公):金井勇太
- 川島秀雄(父):小林稔侍
- 川島彩子(母):秋野暢子
- 川島舞(妹):児玉真菜
- 佐々木(トラックドライバー):赤井英和
- 大庭すみれ(トラックドライバー):麻実れい
- 真知子(屋久島で出会ったお姉さん):高田聖子
- バイカルの鉄(屋久島で泊めてくれたお爺さん):丹波哲郎
あらすじ
不登校を続けている中学3年生の川島大介は、屋久島の縄文杉を見にいくために家出をする。ヒッチハイクで南を目指す大介は、途中で出会った人たちとのふれあいを通じて人の優しさを知る。
感想・レビュー
1作目と2作目は生徒たちと懸命に向き合う先生たちを描き、3作目はもう一度学校に通って社会復帰に挑む大人たちを描きました。そして4作目となる今作では学校という存在を否定しています。
もう少し正確に言えば、全日制の普通校のあり方に山田洋次監督が問題提起をしています。
主人公の大介が不登校になった原因は、強制的に通わされ、ただ詰め込まれる学校教育への疑問。多感な年ごろの少年が抱く疑問としては、この上なく当然です。むしろ、あたりまえの疑問にきちんと気づける大介は頭のいい子です。だからこそ、きちんと悩むことができます。
今でこそ多少は不登校に対する理解も進んでいますが、昔の親はとにかく学校は行かなければならないものと決めつけ、自分の子どもが不登校になることは恥だとさえ思う風潮が強かった時代です。
「義務教育」とは子どもを就学させる“親に対する義務”ですから、親が学校へ行けというのは当然です。しかし、どうして学校へ行かなければいけないんだと子どもが思うのも当然です。
大介は自分に対する親の不満を感じ取り、それがますます登校できない原因になってしまいます。
なぜ学校に行かなければいけないのか?
なぜ役に立たない勉強をしなければいけないのか?
ぼくも同じことを思いましたが、この疑問に答えられる大人はいませんでした。と言うより、訊くだけムダと割り切っていたと思います。
中学の数学で連立方程式を習ったとき、「これって、どんなときに使うんだろう?」と思ったことを今でも覚えています。
そこで今さら「連立方程式とは?」と調べると、ある数学サイトにこう書いてありました。
「連立方程式は、複数の式を使って複数の値を求める方程式です」
バカか、おまえは?
見ればわかるわ。だから、それはどういうときにで使うんだよ?
大人になってもこんな説明に腹が立つくらいですから、血の気の多い中学生がブチ切れても当然です。
さらに思い返せば、因数分解も平方根も、なんのためにあるの? という疑問はガン無視でカリキュラムが進んでいきました。
せめて「〇〇は、ふだんの生活でもこういうときに役に立つぞ」とか「□□は化学の世界じゃ必須だから、学者になりたい人は覚えろよ」くらいは言ってから教えてほしかった。
国語とか社会なら勉強する意味はなんとなくわかりますが、数学は説明してくれないと、なんのためにこんなことを習うのかまったく理解できません。
そういう説明もなく、とにかく、
少しでもいい点数を取れ。
少しでもレベルの高い学校へ進学しろ。
少しでも大きな会社に入れ。
そのためには黙ってひたすら勉強しろ!
こういう発想は、もう時代遅れです。
「バカとブスこそ東大へ行け!」と言うドラマが人気を得たのは、勉強のコツをおもしろく紹介したハウツーものだったからです。「なるほど!」という感動がなければ、大人だろうと子どもだろうと興味は持てません。
今は他人の関心を惹きつけ、どうしたら自分の主張を聴いてもらうかに多くの人が苦心しています。プレゼンも、稟議書も、セールスも、こうしてブログを書くのも、誰かに伝えたいというエモーションが必要です。
もし今でも問答無用な教え方をしている時代遅れの先生方には、少し考え方を改めていただきたいと思います。
一人前になるとは、どういうことか?
大介が抱えたもうひとつの疑問は「一人前になるって、どういうことだろう?」です。
これも、答えられる人は少ないんじゃないでしょうか?
そもそも、なにをもって「一人前」と言えるのかがハッキリしません。そこで最近話題のChatGPT-4を搭載したMicrosoft Bingさんに「一人前になるの“一人前”とは、どういう意味?」と訊いてみました。
「一人前」という言葉には、いくつかの意味があります。 一つは、一人分という意味で、拡大解釈して「一人前のものを与えても遜色がない」という事になります。また、「一人前」は、成人後に備えているはずとされる心身、技能、力量などの総称です。さらに、「一人前」は、技能や学問などが一応の水準に達していることを指します。
例えば、仕事の場合、「一人前」は、その仕事をする上で必要な技能や知識があることを指します。また、社会人として「一人前」と認められるために、「3年間、同じ会社で働いたかどうか?」をみられることがあるようです。
このように、「一人前」には様々な意味があります。どのような文脈で「一人前」という言葉が使われているかによって、その意味が異なります。ご参考までに。😊
文脈によって意味は違いますが、「一人前」とは心身、技能、力量などの総称で、技能や学問などが一応の水準に達していることだそうです。
ニュアンス的には「仕事に必要なスキルを身につけた状態」ということですね。
しかし今作が問う「一人前」の答えは、「他人の気持ちを思いやれる優しさを持っていること」じゃないでしょうか?
大介をヒッチハイクさせてくれたトラックドライバーの佐々木やすみれ、次作の詩を送ってくれたすみれの息子の登、屋久島で大介を案内してくれた真知子や泊めてくれたバイカルの鉄。
彼らはみんな、他人に対する優しさを持っている「一人前」の人たちでした。そして、彼らと出会った大介も同じような優しさを持っています。
屋久島で泊めてくれたバイカルの鉄は、おしっこを漏らしてしまったことが情けなくて腹を切ると言いだしました。出刃包丁を持ってこいと言われた大介は、とっさに包丁を冷凍庫の中に隠し、鉄を着替えさせます。
翌日、鉄を入院させるために帰ってきた息子の満男(前田吟)は、布団をめくった瞬間に「わっ、クサか~、ションベン漏らしちゅうとお。みっともなかねぇ」と、救急隊員の前で父親に恥をかかせました。
大介はそんな満男に「お爺さんはね、オシッコ漏らしたとき、恥ずかしいって泣いてたんですよ。それを、あんな大きい声で、知らない人の前でクサイなんて言ったりして」と、涙ながらに抗議します。
そして「大人のくせに、そんなことがわからないのか。それでも一人前なのか」ととがめます。それをじっと聞き入れている満男。
また、大介は好きな泉ちゃんには幸せになってほしいと、自分のことより泉ちゃんのことを一番に考えています。
こうした他人に対する優しさをもつことが「一人前」の人間かどうか、ほんとうの基準なのかもしれません。
技能や力量、学問といったレベルは経済的な価値で計った基準ですが、世の中にはそうした基準ばかり多すぎるように思えます。
自分のことしか考えられない「学歴エリート」や「上級国民」が増えるほど、この国はどんどん生きづらい国になっていくようです。

