作品概要
映画『キネマの神様』は原田マハの小説を原作に、松竹映画100周年記念作品として制作されました。※ストーリーは映画用にアレンジされています。
当初は志村けんの初主演作品となるはずでしたが、本人が新型コロナウイルスに感染したため出演を辞退。その後に急死したこともあって、志村けんと仲の良かった沢田研二が代役を務めました。
- 監督・脚本:山田洋次
- 上映時間:125分
- 公開:2021年8月6日
主なキャスト
- ゴウ:沢田研二
- ゴウ(青年期):菅田将暉
- 淑子(ゴウの妻):宮本信子
- 淑子(青年期):永野芽郁
- 歩(ゴウの娘):寺島しのぶ
- 勇太(ゴウの孫):前田旺志郎
- テラシン(ゴウの親友):小林稔侍
- テラシン(青年期):野田洋次郎
- 桂園子(往年の銀幕女優):北川景子
あらすじ
映画監督を目指すゴウは、自身の脚本による『キネマの神様』で念願の初監督作品にこぎつけた。しかし、スタッフとの軋轢や事故で撮影は中止。ゴウはそのまま映画界を去ってしまう。
それから長い年月が経ち、年老いたゴウは競馬と酒に溺れて淑子たち家族に迷惑をかけてばかり。そんなとき、引きこもっている孫の勇太が『キネマの神様』を手直ししてシナリオコンクールに応募しようと持ちかける。
やっぱり、志村けん主演で観たかった……
今作は志村けん「幻の」初主演作品。代役でゴウを演じる沢田研二も、志村けんならきっとこんなふうに演じただろうと思わせる芝居をしていますが、それがむしろ「やっぱり志村けんが演じていたら……」と思わせてしまいます。
いや、別に沢田研二の芝居がダメというわけじゃありません。というより、仲の良かった志村けんの遺志をしっかり受け継いでいると思います。代役としては完璧です。それがむしろ、志村けんの魂に自分の体を貸しているような芝居に志村けんの姿がダブってしまいます。
1999年に公開された高倉健の主演映画『鉄道員(ぽっぽや)』でも、幼い一人息子を抱える流れ者の炭鉱夫を好演していたので、今作が予定どおり志村けん主演で完成していたらと、つい思ってしまいます。

それでも今作は過去と現在を行ったり来たりでメリハリが効いており、125分間ひと時も飽きさせない仕上がりになっています。これは脚本や演出の他に、沢田研二をはじめ、ゴウの妻を演じた宮本信子やゴウの若き姿の菅田将暉ら、芝居じょうずな出演者たちの功績も大きいでしょう。
唯一気になったところを挙げるとしたら、ゴウがあっさり初監督を降りてしまうのは、それまでの努力に対して諦めがちょっと早すぎる気がします。山田洋次監督はストーリーの転回部分が少々唐突なところがあるので、ここでもまた悪い癖が出たなと思わされました。
また、ラストで年老いたゴウが映画を観ながら息を引き取るシーンは、1986年公開の松竹大船撮影所50周年記念作品『キネマの天地』で渥美清が演じたヒロインの父と同じパターンです。山田監督、この演出がずいぶん気に入ったようです。

等々、ツッコミどころはいくつかありますが、『キネマの神様』は今だから一人でも多くの人たちに観てほしい作品となっています。なぜなら、今作はたんなるハートフルな映画というだけでなく、今の日本が抱えている問題が提示されているためです。
やり直しが効かず、老後まで働かなければならない日本社会
ゴウは78歳になっても、時どき公園の清掃をしていくらかの収入を得ています。妻の淑子もテラシンの映画館で清掃のパートをしています。ゴウがギャンブルで作った借金という事情もありますが、二人は70代になっても、まだ働かなければなりません。
この国の政府は「一億総活躍社会」なんてキャッチフレーズを掲げましたが、それは「死ぬまで働け政策」でしかありません。少子高齢化で年金制度が維持できなくなることは数十年前からわかっていたのに、ほんとうの問題には目を背け、無為無策の政治を続けてきたツケが今の日本の現状です。
ゴウが映画界を離れてからどう生きてきたのかは描かれていませんが、娘や孫に恵まれているところを見ると、けっこう、それなりにちゃんと生きてきたのかもしれません。それでも年老いてなお働かなければならないこの国の現状が辛すぎます。
淑子が映画館のパート募集に応募したときも、館長のテラシンは東京都の最低賃金しか払えないと言い、淑子はそれでもいいと承知します。
零細企業では都道府県の最低賃金しか払えないところが多いのも事実。ましてや最低賃金の全国加重平均が1,000円を超えた現在では、人手が足りなくても最低賃金が高くて雇えないという企業も多いでしょう。
しかし働くほうにすれば、1,000円前後の最低賃金では到底まともな暮らしはできません。かつては「一億総中流社会」と言われたこの国も、今では落ちる一方の「衰退途上国」と化してしまいました。
現在(2023年現在)、岸田政権は企業に更なる賃上げを要請していくと言っていますが、「いやいや、あんたがしなくちゃいけないのは、企業がラクに賃上げできるようにまともな経済政策をすることでしょ!」と突っ込んでやりたくなります。
名目賃金が増えてもインフレで実質賃金が目減りする一方では、ゴウのようなギャンブル依存症じゃなくても闇金に頼らざるを得ない人が増えるだけ。そんな今の日本は「国策不況」と言ってもいい状況です。
すでに中年となったゴウの娘も派遣社員の仕事を切られて再就職活動を余儀なくされますが、面接に行っても「ご活躍をお祈りします」と不採用通知が届きます。
ぼくも再就職活動をしていたころ、面接に行くたびに「お祈り」のお札が送られてきました。必死に就活をしても「お祈り」されてばかりいると、「神社じゃねーんだよ!」と突っ込みたくもなります。
だいたい、こういう場合は封筒が届いた時点で不採用ですから、開けて見るまでもありません。このあたり、期待しながら封を切る歩さんはまだまだ苦労が足りませんねw
その歩さんの息子の勇太は引きこもり中。これも今じゃ珍しくないシチュエーションですね。でも、引きこもりは悪いことじゃないと、ぼくは思っています。
学校という閉鎖的な無法空間でイジメにあうくらいなら、逃げたほうがマシです。というより、今の学校教育にガマンして通う価値などありません。それよりも、家で本を読んだり映画を観たりさせるほうが、ずっと子どものためになります。
人よりいい成績を取り、人よりいい学校・会社に入る。そんな競争社会の成れの果てが、今のこの国です。そんな世の中では、若いころのゴウのような夢を追い求める生き方は無謀でしかありません。
でも、夢に賭けることもできず、夢やぶれて再スタートもできないほど余裕のない社会が、はたして「まとも」な社会でしょうか?
政府の新型コロナウイルス対応は検証する必要があります
テラシンの経営する小さな映画館は、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で経営危機に見舞われます。「ソーシャル・ディスタンス」という、人々を互いにバイ菌扱いするような政策で日本国民は分断されました。
ゴウたちが家族でテラシンの映画館に行ったとき、席を一つずつ空けて座るように張り紙がしてあります。たとえ家族でも寄せ合うことを認めなかった「ソーシャル・ディスタンス」に、どれだけの意味と効果があったのか? 今だからこそ、考えてみなければならないと思います。
あの緊急事態宣言は正しい対応だったのか? ワクチンによる健康被害の状況はどうだったのか?
今こそ、きちんと検証する必要があるんじゃないでしょうか?
あの頃、毎日6万円もの自粛協力金を受けとった個人規模の飲食店が大儲けした一方で、見捨てられた中小企業とその従業員たちの暮らしに、どれだけマイナスの影響があったのか。それは決して、なあなあで済ませてはいけない問題です。
ゴウが映画界を去ってしまったのは、ゴウ本人の問題かもしれません。しかし、テラシンの映画館が自粛要請で経営危機になるのは、どう考えてもおかしなことです。
政府の仕事は国と国民を守ることなのに、今の日本政府がしているのは、国と国民を滅ぼすことばかり。そんな今の日本が抱えている問題を、山田洋次はハートフルな作風に包んで私たちに問いかけているように思いました。
さて、昭和のセクハラ・パワハラ放題を描いた『蒲田行進曲』、日本映画の黎明期を描いた『キネマの天地』、そして今作『キネマの神様』のレビューを「キネマ三部作」としてお届けしました。これらの作品を続けてみると、映画界を通して近代日本の今昔物語が見えてくるようです。

