作品概要
映画『東京物語』は1953(昭和28年)に公開された小津安二郎監督の代表作のひとつ。地方で暮らす年老いた両親と、東京で暮らす子どもたちのあいだに生じる心の距離感を淡々と冷徹に描いています。
主なキャスト
- 平山周吉:笠智衆
- とみ(周吉の妻):東山千栄子
- 幸一(周吉・とみの長男):山村聡
- 文子(幸一の妻):三宅邦子
- 志げ(周吉・とみの長女):杉村春子
- 庫造(志げの夫)
- 京子(周吉・とみの次女):香川京子
- 敬三(周吉・とみの三男):大坂志郎
- 紀子(周吉・とみの戦死した次男の嫁):原節子
その他の概要
- 監督:小津安二郎
- 脚本:野田高梧・小津安二郎
- 制作・配給:松竹
- 公開: 1953年11月3日
- 上映時間:136分
感想:ネタバレあり
もう何年も前になりますけど、はじめて『東京物語』を観たときは「なんか地味でつまらない映画」と思ってしまいました。
伝えたいことはなんとなくわかるんだけれど、モノクロの映像や原節子のわざとらしい笑顔に古くさい芝居という印象が強かったし、静かに淡々と進んでいく本作がちょっと長く感じたのを覚えてます。
それはきっと、メリハリの効いたわかりやすい現代の演出に慣れきってしまった自分の感性が鈍かったんだろうと、今ではそう思ってます。
それなのに、どうしてまた『東京物語』を観ようと思ったのか?
じつは先に山田洋次監督の映画『東京家族』を観て、「あれ、これって『東京物語』のリメイク?」と気づいたから。それであらためて『東京物語』を見直してみたわけです。
久しぶりに『東京物語』を観るとちっとも退屈じゃなく、むしろじっと見入ってしまいました。そんなふうに作品への印象が変わったのは、自分が歳をとったことや、そのあいだに両親が他界したことが影響しているのかもしれません。
親子の絆が失われたのは核家族化が原因じゃなかった!
最初、この映画のテーマは核家族化による家族の崩壊だろうと思ってました。高度経済成長で若者が大都市へ出ていき、故郷には年老いた親だけが残される。そんな核家族化が親子の関係を希薄にしたんだろうと。
結論を言えば、当たらずとも遠からず。
今まで、昔の日本は3世代同居が一般的という先入観を持っていたんですが、すでに大正時代の1920年には54%と、過半数の世帯が核家族だったようです。今回ちょっと調べて、はじめて知りました。思い込みって怖いですね。
それでもやっぱり核家族化が進んだのは高度経済成長期の60年代からで、1975(S50)年には64%の世帯が核家族になっています。
昔は1組の親が子どもを4〜5人産むなんてザラでしたから、成長した子どもたちが家を出ていくのは当然ですね。とは言え、昔の核家族化は子どもたちも地元で家庭を築き、実家と近いところで暮らすことが多かったでしょう。
しかし高度経済成長期のあと、子どもたちは東京などの都市部に出ていき、故郷の両親とは遠く離れて暮らすライフスタイルが珍しくなくなります。
周吉ととみの子どもたちは長男の幸一まで親元を離れてますから、両親の世話を任された京子が自分勝手な兄と姉たちに文句の一つも言いたくなる気持ちはわかります。
京子はきっとこのあと父親の介護と仕事との両立に悩むでしょうし、次男の未亡人の紀子も一人で不安を抱えながらの生活です。なんだかこの二人は今の世相をあらわしているような問題を抱えています。
いつしか親と子どもの力関係は逆転するもの
幼い子どもにとって、親は絶対君主に等しい存在。というより、暴君と言ったほうがいいかもしれません。
劇中では、中学生の實(みのる)が学校から帰ると自分の机が廊下に出されてしまっています。祖父母が泊まるから部屋を空けろというのが理由ですが、いきなりこれじゃあ實が母親にくってかかるのもムリありません。
これ見て、同じような経験を思い出しました。
ぼくが小学校から帰ると、母が今日から兄の部屋で一緒にいろと言います。親戚の会社が潰れて一家離散し、従兄弟がしばらく同居するからと。もちろん速攻で抗議しましたが、母親に一括されておしまいでした。
實が部屋を取られたのは数日ですが、ぼくは数ヶ月も兄の部屋にいなけりゃなりませんでした。ようやく従兄弟がいなくなって部屋を取り戻したときは、正直言ってホッとしたのを覚えています。
そんなふうに、子どもにとってはときに理不尽な強権を発動する親ですが、やがて子どもが成長するにつれて、その権力は衰え始めます。やがては立場が逆転し、今度は親が子どもの顔色を伺うようにもなります。
周吉ととみの老夫婦も東京へ行ったはいいけれど、子どもたちが心から歓迎している雰囲気ではありません。とくに長女の志げにいたっては露骨に邪魔者扱いをし、居場所のなくなった周吉は「とうとう宿無しになってしもうた」と自虐的に笑います。
それでも老夫婦にとって子どもたちが可愛いのは、幼いころの思い出があるからでしょう。親は子どもが大きくなっても、どこかに幼いころの面影を見てしまいます。それは孫より、やっぱり子どもたちのほうが可愛いと言った周吉の言葉にもあらわれていました。
「親の心、子知らず」ということわざがあるように、幸一たちは母親が亡くなっても自分たちの都合を優先し、早々に東京や大阪に帰っていきます。
「そうか、みんな帰るかい」
ポツリと言った周吉の言葉に、諦めと寂しさが込められています。最後まで残ったのは、戦死した次男の嫁・紀子だけ。
周吉と同居している京子は兄や姉たちの冷たい態度に憤慨しますが、「そうなりたくなくても、皆そうなっていくのよ」と諭す紀子。
「それじゃ、親子なんてずいぶんつまらない」と京子はいいますが、そんなもんです親子なんて。
ぼく自身も親にとっていい息子ではなかったから、自分の娘にもいい子どもでいてくれとは望めない。因果応報というけれど、それでいいと思ってます。

