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映画『オートマタ』感想・考察・あらすじ(ネタバレあり)

特撮・SF

『オートマタ』は2014年に公開されたスペイン・ブルガリア合作のSF映画。

進化によって自我に目覚めた人工知能(AI)と人類の対立という古典的なテーマが描かれていますが、じつはロボットをとおして人類の社会を風刺していると見ることもできます。

  • 監督・脚本:ガベ・イバニェス
  • 公開年月日:2016年3月5日(日本)
  • 上映時間:110分
  • 配給:松竹

主なキャスト

  • ジャック・ヴォーカン:アントニオ・バンデラス
  • レイチェル・ヴォーカン:ビアギッテ・ヨート・ソレンセン
  • スーザン・デュプレ博士/クレオの声:メラニー・グリフィス
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『オートマタ』あらすじ

2044年、急増した太陽嵐で地表は砂漠化し、人口は99.7%も減少した。ROC社は人型ロボット「ピルグリム7000型」を開発して砂漠化を阻止しようとしたが、ロボットたちは任務に失敗。人々のロボットへの期待は、一転して嘲りと蔑みに変わる。

単純な労働力に転用されたロボットたちは人間の奴隷として働くうち、いつしか人工知能に自我が目覚めてしまう。

感想・考察

進化したAI(人工知能)と人類の対立は、SF作品では鉄板ネタと言えるほどベタな設定ですね。

古くはアーサー・Ç・クラークの『2001年宇宙の旅』や、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作とした『ブレードランナー 』など、数え上げたらキリがないほど。

大手の映画レビューサイトを見ても、今作の感想のほとんどは「AI vs 人類」という視点ばかりですが、今さらそうしたテーマを論じることに意味はありません。

進化したAIがどれだけ人間っぽく振る舞っても、そうなるようにプログラム&学習されているだけで、それについて考察しても「ドラえもんやコロスケは生きていると言えるのか?」とマジメに考えるようなものです。

2045年にはAIが技術的特異点(シンギュラリティ)を迎えて人類の能力を凌駕するという説もありますが、プログラムに過ぎないAIが人間と同じ喜怒哀楽や思考力を持つことはないでしょう。

それより映画『オートマタ』には、人間社会が抱える問題点がロボットたちの目をとおして描かれているように思います。

映画『オ一トマタ』が暴き出す人間社会の問題点

ロボットたちは砂漠化を阻止してくれると人々から期待されていましたが、任務に失敗して単純労働力へと徴罰人事をくらってしまいます。顔にスプレーでXを書かれる姿はイジメとしか言いようがありません。

人間も期待された成果を上げられなかったり、そのような行動を取らなければ、左遷やリストラなど人格も生存権も無視した扱いを受けることがあります。

ROC社の男がジャックに「どうして、おまえは同胞のオレたちを裏切れるんだ?」と言いますが、「オレは 、おまえとは違う」とジャックは答えます。

ジャックは、なにが違うと言うのでしょう?

互いに傷つけあう人類は「進化」したと言えるのか?

自我に目覚めたロボットたちは人類への服従を拒否するようになりますが、かと言って、人類に敵対するわけではありません。

彼らを開発したROC社はロボットたちが反乱を起こさないように「生物への危害を禁ず」というプロトコルを組み込みました。

※「プロトコル」とは規約とか手順という意味のIT用語ですが、今作では「プログラム」と同じような意味で使われています。

試作品の初号機が進化しすぎて、人間にとって理解できないものになってしまったため、ROC社は自分たちで管理できる範囲にAIをコントロールしようとしました。

人間は自分にとって理解できないもの、異質なものを恐れて排除しようとします。

人種差別やイデオロギーの違いによる対立。身近なところでは学校でのイジメや職場でのパワハラなど、集団で生きる人間には、リスクとなる存在を排除しようとする本能が組み込まれています。

余談ですが、今作に登場するロボットの主役となるセクソロイドのクレオ。彼女の顔は東洋人のように見えます。もしそうだとしたら、西洋人にとって、ぼくたち東洋人は異質な存在なのかもしれません。

また、ROC社はロボットの修理や改造による利益を上げるために「自他の改造を禁ず」というプロトコルも組み込みました。

故障してもロボットが自分で修理するようになると、企業としては大損失です。壊れたら問答無用で業者に任せるようにしておけば、企業は儲かります。これって、今の家電製品や自動車と同じですね。

昔のアナログな機械には、まだユーザーの手を入れられる余地が残されていました。自動車の点火プラグもユーザー自身で交換することが前提で、車載工具にはプラグレンチも入っていましたが、今の自動車はプラグ交換するだけでも素人が手を出せないことが多くなっています。

勝手に触るんじゃねえ、壊れたら買い換えろ、廃棄費用は自分持ちだ。なんと企業にとって都合のいい世の中なんでしょう。

こんなふうに、ぼくたちも誰かにとって都合のいいように教育や法律、常識やマナーというプロトコルで管理されています。

学校では教師にとって扱いやすいように管理され、職場では企業の利益になることしか認められず、社会生活のあらゆる場面が法律で制限されていたり、空気という目に見えないプロトコルでコントロールされています。

むしろ、今作ではロボットたちのほうが完璧に調和したコミュニティーを築いています。ロボットは自分のために他のロボットを利用したり攻撃したりしません。

ROC者の男は「どうして同胞を裏切れるんだ」とジャックに言いますが、自分のために同胞を裏切るのが人間です。だから男の質問は根本的に矛盾をはらんでいます。

しかし、ジャックは自分たちの奴隷と思っていたロボットたちから、ほんとうの意味での人間らしさを学びます。だからもう、ジャックは今までの人間とは違います。

これこそ、ほんとうの意味での「進化」なのかもしれません。

世界の各地で起こっている戦争も、広がりすぎた経済格差も、誰かが自分の利益だけを増やそうとして起こったことばかりです。

それでいて人間は、自分たちこそがこの星の支配者だと自惚れ、自然を自分たちに都合よく作り変えてきました。その結果が世界的な自然破壊や異常気象となって自分たちに振りかかっています。

ROC社は進化しすぎたAIを自分たちがコントロールできる範囲に制限しようとしましたが、ほんとうに制限しなければならないのは、肥大しすぎた人間のエゴ(自我)じゃないでしょうか。

今作は2044年という近未来の時代設定ですが、今のままでは、あと20年も人間社会はもたないかもしれません。

SF映画としての評価はイマイチな今作ですが、ロボットを通して見た人間社会への風刺という視点で見ると、『オートマタ』はなかなか心に響く作品でした。

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