***当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています***

映画『たそがれ清兵衛』レビュー:権力争いに翻弄された剣豪たち

スポンサーリンク
その他
スポンサーリンク
スポンサーリンク

作品概要

映画『たそがれ清兵衛』は幕末に生きる下級武士の生き様を描いた時代劇作品。時代や権力に翻弄されながらも家族を愛し、粛々と自分の生を全うした姿が共感を呼びました。

時代小説の大家である藤沢周平の短編小説を原作に、『男はつらいよ』の山田洋次監督が初めて時代劇を手掛けた作品としても評判になり、2003年の「第26回日本アカデミー賞」では最優秀作品賞をはじめ、主だった賞を総なめしています。

主なキャスト・スタッフなど

  • 井口清兵衛:真田広之
  • 井口萱野:伊藤未希
  • 井口以登:橋口恵莉奈、岸惠子(晩年)
  • 井口藤左衛門:丹波哲郎
  • 飯沼朋江:宮沢りえ
  • 余吾善右衛門:田中泯
  • 監督:山田洋次
  • 脚本:山田洋次、朝間義隆
  • 原作:藤沢周平「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」
  • 公開:2002年11月2日
  • 配給:松竹
  • 上映時間:129分

あらすじ

明治維新が迫る幕末、庄内地方の海坂藩では藩主が若くして亡くなる。実権を握った新藩主は権力を盤石なものとするため、旧藩主に仕えた主だった家臣たちに切腹を命じた。一刀流の使い手である余吾善右衛門もその一人だったが、命令に従わず刺客を返り討ちにしてしまう。

次の刺客に命じられたのは一介の下級武士である井口清兵衛だった。清兵衛は下城の時刻になるとそそくさと帰路につくため「たそがれ」と呼ばれて揶揄されていたが、思いを寄せる朋江のために果たし合いをしたことから小太刀の使い手であることが知られてしまった。

藩命によって余吾を打ちに行った清兵衛だったが、余吾は戦うどころか「まあ座れと」酒を勧めてくる。話してみれば、余吾と清兵衛の境遇には同じような苦労が多かった。余吾は清兵衛に逃してくれと頼むが……。

感想:もちろんネタバレしまくりです!

さすが人情モノを撮らせたら山田洋次監督はうまいですね。今作が名作と呼ばれるのも理解できます。が! 個人的には納得できるところと、できないところがあります。

まずは褒められるところからいきます。

俳優たちの演技が素晴らしい!

主役の真田広之さん、若い頃はイケメンのアクションスターというイメージが強かったんですが、年齢と共に性格俳優に転じ、その演技力と存在感は海外でも高い評価を得ています。今作では朴とつで剣豪という二面性をもつ清兵衛を、静と動の芝居で見事に演じています。

ヒロインの朋江を演じる宮沢りえさんも、若い頃はアイドル女優の一人でしかありませんでしたが、大人になってからは憂いを帯びた女性もしっかりと演じられる女優になりました。清兵衛の身支度を手伝うときの凛とした所作や、子どもたちと遊ぶときの慈愛に満ちた表情は、彼女で正解と思えるほどの名演技でした。

脇を固める俳優陣たちもいいですね。とくに清兵衛の娘たちを演じた伊藤未希ちゃんと橋口恵莉奈(現:仙波以都)ちゃんが「なまらめんこい」です。

余吾善右衛門を演じた田中泯さん、元々はダンサーだそうですが、役者としては今作がデビュー作。演じるという共通点があるとはいえ、一芸に秀でた人は異なる分野でも通じるものですね。

鬼籍に入った名優たち

今作は20年以上も前の作品ですから、残念ながらすでに鬼籍に入られた俳優たちもいます。

まずは清兵衛の伯父・藤左衛門を演じた丹波哲郎さん。生前は「霊界の宣伝マン」を自称していた御大ですが、作品のクレジット順は必ず最後にこだわっていたそうです。今作もたいした役でないのに、しっかりクレジットは最後になっています。こういうところでワガママなのも、昔の大物俳優らしいですね。

朋江の義姉を演じた深浦加奈子さんはコミカルな役もこなせる名女優でしたが、2008年にS状結腸癌のため48歳の若さで亡くなっています。同じく幅広い役をこなし「カメレオン俳優」と称された甲田役の大杉漣さんも2018年に66歳で亡くなりました。

そして清兵衛の同僚を演じた赤塚真人(まこと)さん。ちょっと軽薄な脇役が似合う俳優でしたが、このレビューを書いた数日前の2024年7月4日に食道癌で旅立たれました。合掌!

ほんとうのエコロジーを教えられる食事シーン

清兵衛が茶碗に湯を入れ、漬物で米粒を拭うようにして食べ終えるシーンがあります。今作は時代考証もきちんとされているので、当時はそれが当たり前だったんでしょうね。

今はあまり汚れてもいないのに、いちいち洗剤をつけて洗う人も多く見られます。みんなそれがあたりまえと思っているんでしょうが、不要な洗剤を流すことは水質汚染になります。江戸時代の日本はリサイクルとエコロジーの模範的な社会でした。もう一度エコロジーってなんなのか、そう考えてみるのも時代劇を観る意義かもしれません。

ここからは、ちょっと納得いかないって部分

今作を観た多くの人たちは、理不尽な状況の中でも粛々と自分の責務を果たそうとする清兵衛の生き様に共感するでしょう。今の世の中でも理不尽なことに耐えなければならないことは、いくらでもありますからね。

それでも家族のため、清濁併せ飲みながら日々を生きる。そんな毎日を送っている人たちが、自分の姿を清兵衛に重ねてしまうのもムリありません。それはきっと余吾も同じで、二人とも世の中の理不尽に巻き込まれただけでした。

余吾は浪人として長いあいだ艱難辛苦に耐えてきましたが、自分を救い出してくれた恩人のために頑張って働いてきただけです。その恩人が失脚したからといって、自分まで腹を切れと言われたのでは納得いかないでしょう。

それでも時代劇ファンは腹を切ることを望むのかもしれませんが、そういう理不尽にまで忠義を尽くすことには賛成できません。筋が通らないことには、堂々とNO! と言えるのが正義だと思います。

清兵衛と余吾、二人の人生を分けたものは?

清兵衛と余吾には共通点が多くあります。結核で家族を亡くし、剣の達人でありながら不遇な日々を送っている、そんな二人の人生を分けたのも家族でした。

余吾は妻子を失い、一人ぼっちになりました。小さな骨壷から娘の遺骨を口に入れる姿に、余吾の深くて癒やされぬ悲しみが伝わります。

清兵衛も余吾と同じく結核で妻を亡くしていますが、ボケたとはいえ実の母もいますし、可愛い盛りの娘たちもいます。そしてなにより、剣の達人でありながら娘たちの成長や季節の移り変わりに心をとめる優しい気質が幸せの源泉だったのでしょう。そこが性格に難がある余吾と清兵衛の命運の分かれ目でした。

しかし清兵衛も3年後、戊辰戦争で命を落とします。この戦争は新政府軍と旧幕府軍との勢力争いでしたが、新政府軍が勝利し明治政府が発足したあと、佐幕派だった旧幕府軍は蝦夷地(北海道)の開拓を命じられ泥水をすするような苦労を味わいます。

清兵衛の同僚たちには要領よく明治政府のもとで出世した者も多かったようですが、出世に興味がなく要領の悪い清兵衛は家族共々、蝦夷地へ行かされたかもしれません。ま、この作品はフィクションですから、脳内の勝手なパラレルワールド仮説ですが。

今の学問は、自分で考えられるようになっているか?

清兵衛の長女・萱野は、学問をしたら何ができるようになるの? と訊き、清兵衛はこう答えます。

「学問をすれば、自分の頭でものを考えることができるようになる。この先、世の中が変わっても、考える力があればなんとか生きていける」

じゃあ、今の教育って「学問」じゃないですね。無駄な知識ばかり詰め込まされて、受験テクニックに長けた連中だけが出世していく。そうして育った感受性に乏しい学歴バカが社会を分断し、日本をディストピアな世界にしてしまいました。

これからのAI時代は明治維新以来の大変革だと言われますが、先の見えない世の中をどうやって生きていけばいいのか、ほとんどの人たちはわからないでしょう。

明治維新はすべてがいいことばかりではありませんが、坂本龍馬や吉田松陰など、傑物と言われる人たちがたくさん出現したのも事実です。そうした時代を切り開く人材が多く現れたのは、藩校や寺子屋、私塾といった子どもに合わせた教育をしてきたからでしょう。

清兵衛の長女・萱野は論語を素読しますが、もちろん幼い子どもに論語の意味なんてわかりません。でも、素読で覚えた論語は頭にゆっくり染み込むように記憶され、やがて成長するにつれてその意味を理解します。また、素読が脳の発達にもいいことは当時から知られていたようです。

それに対して、明治から始まった学校教育は江戸時代とは正反対の教え方です。生徒の個性を無視した画一的なカリキュラムで、命令に従う従順な子羊として飼育します。知識を覚えるのもテストや受験で他人との競争に勝つため。そして日本人はどうなったかは、言うまでもないですね。

よく言われていることだけど……

ネットで『たそがれ清兵衛』のレビューを見ると、多くの人たちが同じところに否定的な感想を書いています。それはぼくも同じように感じたところです。

まず一つは、余吾がわざと負けたんじゃないかと思われるところ。

余吾は清兵衛と切り合っているとき、一瞬ですが鴨居の高さを確認しています。それなのに剣豪の余吾がそれを忘れて鴨居に刀を引っ掛けるなんてミスは考えられません。しかも逃がしてくれと言っていたわりに、清兵衛が「逃げるのは今です」と言っても逃げないし。

ほんとうは逃げるのは難しいとわかっていて、同じように不遇に耐えてきた清兵衛になら切られてもいいと思ったのかもしれません。それだけに、最期の言葉が「たそがれ……」だったのは、何を伝えたかったんでしょうか。

運に恵まれず、敗者として人生の幕を閉じる。いつの世も不遇な生き様を残して逝った人たちがいることに、この世の不条理を感じます。

もう一つの残念ポイントは、唐突に岸景子が出てくるエンディングのシーン。「ああ、やっぱりね。そこだよね!」と共感してくれる人も多いところでしょう。

ナレーションだけで済ませてくれたらよかったんですが、ラストに出てきて自分の存在感をこれでもか! ってぐらい見せつけていく。これがほんとに興ざめしますわ。その責任は岸恵子というより、山田洋次監督でしょうね。この監督は、お気に入りの女優には大甘の演出をする悪い癖がありますから。

とは言え、悪口はここまでにしておきましょう。もちろん全体的には高評価です。間違いなく名作です。それだけに気になるところは黙っていられませんでした。

スポンサーリンク
その他