作品概要
「男はつらいよ 葛飾立志篇」は1975年12月27日に公開されたシリーズ16作目。
山田洋次監督の現代教育に対するアンチテーゼが込められた作品です。学問とはなにかと考えると、今の教育がいかに時代にあわないムダで無意味なものになっているかと考えされられました。
今作のマドンナ役は樫山文枝ですが、むしろ前半に登場する桜田淳子のみずみずしい美しさに目を惹かれます。
評価:★★★★☆
主なキャスト
- 車寅次郎:渥美清
- さくら(妹):倍賞千恵子
- 竜造(叔父):下條正巳
- つね(叔母):三崎千恵子
- 博:前田吟
- タコ社長(隣の印刷会社の社長):太宰久雄
- 山形の住職:大滝秀治
- 最上順子:桜田淳子
- 田所雄介先生:小林桂樹
- 筧礼子:樫山文枝
あらすじ
寅次郎の恩人である、お雪さんが亡くなった。墓参りに行った寅次郎は、お雪は昔、悪い男に騙され捨てられたと住職から聞かされる。自分に学がなかったせいだと悔やんでいたというお雪の言葉は、同じく学のない寅次郎の胸に響くものがあった。
一念発起した寅次郎は学問を志すが、なにを学べばいいのか見当がつかない。とりあえず形から入ろうとメガネをかけてみたが、柴又じゅうの笑いものになってしまう。
感想・考察
前半に登場した順子役の桜田淳子は、役柄と同じく当時17歳。山口百恵、森昌子と並んで「高三トリオ」と呼ばれていた人気絶頂のアイドルでした。
歌手としては他の二人より?という感じでしたが、女優としての才能は素晴らしく、とくに1979年の『病院坂の首縊りの家』での美しさは強く印象に残っています。
順子の母お雪は自分に学がないから男に騙されたと後悔していましたが、ここでいう「学」とは学歴ではなく「教養」と言い換えてもいいかもしれません。
今作では礼子と田所という二人のインテリに対し、寅次郎をはじめとする無学な市井の人々という構図が描かれています。
しかし学歴は低くても博はふだんから読書で自分の教養を高めようとしているし、インテリの二人も考古学というロマンチックな分野を選んだところが官僚的なエリートとは違うところです。
寅次郎は叔父の竜造から「なにを勉強したいんだ」と訊かれて「おのれを知る学問をしたい」と答えます。「だから、どういう勉強をするんだよ?」と言われると、「それがわからないから、とりあえずメガネをかけたんでしょ!」と開き直ります。
ここはもちろん喜劇のワンシーンですが、実は笑い飛ばせない現代教育の深~い問題が隠れています。
明治以降の教育は一定の年齢になると強制的に集められ、画一的な知識を与えられます。小学校で習う読み書きや計算は画一的な教育でもしかたありませんが、中学以上ではもう少し柔軟な教育でもいいように思います。
と言うと「ゆとり教育」の失敗が悪例として挙がりますが、ここでいう「柔軟な教育」とは、たとえば単位制のような方法が考えられます。
必要な科目だけは全員に履修を義務づけたうえで、選択科目の比率を増やすなどの方法も検討できるのではないでしょうか。つまり大学の履修方法を中学・高校に広げることで、生徒の自主性や個性が伸ばせるでしょう。そうすれば大学も最高学府として、本来の意義を取り戻すことにもなります。
また、単位制の学校というと通信制の高校がありますが、この方法を中学にも広げることで、いじめや不登校などの問題にも対応できそうです。
現代の、とくに中学・高校教育は個人の個性や適性をまったく考慮しないので、「おのれを知る」ために役立つ学問はありません。せいぜい数学が苦手とか英語は嫌いだとわかる程度でしょう。だから「おのれを知る」学問がなにかわからない寅次郎をボクたちは笑えません。
もし寅次郎が「おのれを知る」学問をするなら、どんなジャンルがいいでしょうね。
心理学や哲学でしょうか。お釈迦様の教えである原始仏教なんかいいかもしれません。でも、やっぱり寅次郎が机に向かって本を読みふける姿なんて想像できませんね。
寅次郎は他人とのコミュニケーション能力は優れているし、なにより人情という人として大切なものを持っています。読み書きは苦手でも、人としての土台はちゃんと創られている。それで充分じゃないでしょうか?
ボクがいつも複雑な気持ちになるのが、街じゅうにある学習塾です。とくに夏休みや冬休みを返上してまで塾に通う子どもたちの多さに、せっかくの楽しい時期をムダにしているなあと思います。
と言うボクも数10年前、友だちに頼まれて夏期講習につきあったことがありましたが、アラカンになった今でも中3の夏をムダにしたと後悔しています。
これからの時代に必要なのは、自分で問題を見つけたり解決できる知力や、特定の分野についての教養、そして他人とのコミュニケーション能力じゃないでしょうか? イヤでも訪れるAI(人工知能)時代に求められるのは、もっと人間力や個人の適性を伸ばせるような教育じゃないかと思います。
今のように一定の年齢になれば同じ場所に集められ、画一的な教育を与えられるのは明治になってからです。当時の日本は工業化を進めていたので、学校は工員を養成する機関でした。
そのために重視されるのは生徒の創造性や個性ではなく、命令に従順で勤勉な労働力を育成ことです。ハッキリ言えば、社畜の養成所です。日本にブラック企業が多いのも、明治からの学校教育が一因です。
学校でいじめが減らないのも、学歴エリートによる不祥事が増えるのも、元を質せば閉塞的で時代にあわない学校教育が大きな原因じゃないでしょうか?
だから学習塾の前に自転車がズラーっと並んでいるのを見ると、せっせと我が子を社畜にしようとする親の多さに溜め息が出る思いです。
そんな親たちも昔は塾通いが嫌だったはず。そして塾通いした結果が、せいぜい今の自分です。愛する子どもを同じ目にあわせようとしていることに、早く気がついてほしいと思います。

今作で田所教授を演じた小林桂樹は、1973年の映画と1974のテレビドラマ『日本沈没』で演じた田所博士のイメージが強い人ですね。1975年公開の今作でも役名は同じく田所雄介ですから、意図的に狙った設定でしょう。
最近では『日本沈没』がドラマやマンガでリメイクされたり、大地震で日本列島が壊滅するという予言がネットで盛り上がっていたりしますが、そうした動きは閉塞感に満ちたこの国をいっそのことリセットしたいという人たちの願望の表れかもしれませんね。
今作はシリーズ中の一作としては取り立てて目立った作品とは言えませんが、現代教育にNO!と言いたい自分にとっては興味深い一作となっています。

