作品概要
「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」は1988年12月24日公開のシリーズ40作目。当時ベストセラーとなった俵万智の「サラダ記念日」をモチーフにした異色作。
終末医療のありかた悩む医師に三田佳子を迎え、患者の気持ちを無視して病院の都合が優先されがちな現代医療に疑問を投げかけます。その他に三田寛子、尾美としのり、鈴木光枝など。
評価:★★★★☆
主なキャスト
- 車寅次郎(主人公):渥美清
- さくら(妹):倍賞千恵子
- 竜造(叔父):下條正巳
- つね(叔母):三崎千恵子
- 博(さくらの夫):前田吟
- 満男(寅次郎の甥):吉岡秀隆
- タコ社長(隣りの印刷工場の経営者):太宰久雄
- 三平(くるまやの店員):北山雅康
- 題経寺の御前様:笠智衆
- 源ちゃん(寺男):佐藤蛾次郎
- 茂(早大生):尾美としのり
- 小諸病院の院長:すまけい
- 由紀(早大生、真知子の姪):三田寛子
- 老婆:鈴木光枝
- 真知子(小諸病院の医師):三田佳子
あらすじ
信州小諸を訪れた寅次郎は、バス停で知り合った老婆に誘われて一晩泊まることに。翌朝、医師の真知子が入院のために迎えに来るが、老婆は自宅で死にたいと願う。しかし、一人で居させるわけにもいかず、寅次郎と真知子はなだめながら老婆を入院させた。それがきっかけで、寅次郎は真知子やその姪の由紀と親しくなる。
柴又に戻った寅次郎は、甥の満男を入学させようと早稲田大学へ下見に訪れ由紀と再会。真知子も小諸から東京の実家に帰っていたため、後日みんなで柴又を訪れる。真知子は患者の気持ちを無視した医療のあり方に悩んでいたが、寅次郎にはどうすることもできない。
感想・考察
今作は俵万智の「サラダ記念日」を下敷きにしているため、随所に彼女の短歌が挿入されています。正直言って、男のぼくには当時も「はぁ?」という感じでしたが、アラカンになった今はさらに「???」。それでも「ま、いいか」と思うようになったのは年の功でしょうか。
また、劇中では最期を迎える老婆とは対照的に、大学生活を満喫している由紀と茂の若さが対照的に描かれています。後半にはサザンオールスターズの曲まで挿入されるおまけつきで、どうも今作は若い世代にも観てほしいという下心が透けて見えるようです。
今作の時点で渥美清は60歳。いつまでも愛だ恋だと言っている寅次郎を演じるのはきつい、というより痛い。まもなく実質的な主役が吉岡秀隆の演じる満男に代わるのを見越して、今のうちにファン層の若返りを図りたかったのかもしれません。
死に方を選ぶにはどうする?
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」。シェイクスピア「ハムレット」の有名な一節ですが、日本で生きる場合は「どう死ぬか」も大きな問題です。
「おねげえだから、ここに居させてくれ」。両手を合わせて住み慣れた家で死にたいと言うお婆ちゃんに、真知子と寅次郎は病気を治せば帰ってこれると言います。
しぶしぶ同意したものの、車の中からじっと我が家を見つめるお婆ちゃんの目には涙がにじんでいます。運転席で待つ真知子の後ろ姿にも、ムリに入院させることへの葛藤があらわれています。
ここはむずかしい問題ですね。
誰しも住み慣れた家で最期を迎えたいと思うのは当然でしょう。しかし、それまで家族にかかる介護の負担もあります。昔のように3世代が揃って暮らしている家は少ないどころか、老々介護や独居老人も増えています。となると、自宅での最期は現実的ではないかもしれません。
しかし、最期が近い患者に対する過剰な延命治療は問題です。自分の意識がないときに「なんとかして助けてください」と家族に言われてしまうと、体にチューブを差し込まれる胃ろうのような望まない医療サービスを施され、〇にたいけど〇ねないという悲惨なことになりかねません。
しかし、自分がどんな最期を迎えたいのかを生きているうちに意思表示しておくことはできます。「リビングウィル」という、希望する医療サービスなどを記入する書類があります。これを作っておけば、不本意な終末医療を施されることは少なくなるようです。
「リビングウィル」に決まった書式はありませんが、公益財団法人 日本尊厳死協会のWebサイトからPDFファイルの書式がダウンロードできます。
真知子と満男の悩みにレベルの差はあるか?
真知子は医師として、人生の最期をどう選ぶかはその人の権利であり、そのために医療はもっと患者の心に入る必要があると悩んでいます。
一方で、まだ若い満男にとって死は思いもつかないことであり、ただ目の前にある大学受験に意味を見いだせないことに悩んでいます。
二人の悩みは問題の大きさに差があるように思えますが、人の一生なんて目先のことに悩みながら、気がつくと最期が近づいているものです。そう考えると、真知子と満男の悩みにそれほど大きな違いはないかもしれません。
満男は寅次郎に「大学へ行くのはなんのためだ?」と訊きますが、その答えが名言です。
人間、長いあいだ生きてりゃいろんなことにぶつかるだろ。そんなとき、オレみたいに勉強してない奴は、振ったサイコロの出た目で決めるとか、そのときの気分で決めるよりしょうがない。ところが、勉強した奴は自分の頭できちんと筋道を立てて、はて、こういうときはどうしたらいいかな? と考えることができるんだ。だから、みんな大学へ行くんじゃないか。
いわゆる論理的思考ってやつですね。しかし、これがなかなか難しいうえに、いくら筋道立てて考えても八方ふさがりなことが多いのも現実。そこが渡世のつらいところですね。
小諸から旅に出ようとする寅次郎は、真知子が帰るまでと引き止める由紀に言います。
おばさまは女だ。悲しいことや辛いことがあったときに、ちゃんと筋道を立てて、どうしたらいいかなと考えてくれる人が必要なんだよ。
デタラメな生き方しかできないヤクザな自分は、そんな男とは正反対。だから、これ以上は真知子のそばにいられない。ちゃんとものを考えられない男は、惚れた女も幸せにはできない。
今作冒頭の、満男には自分のような人間にならぬよう言い聞かせろという妹さくらへのモノローグは、ここにかかっていたようです。
「とらや」から「くるまや」に屋号が変更
今作から店の名前が「とらや」から「くるまや」に変わっています。まるで昔から「くるまや」でしたと言わんばかりに、しれっと変わっています。
第4話までロケに協力してくれた団子屋が、勝手に店の名前を「とらや」に変えてしまったことが理由。松竹は「とらや」の屋号を使わないように求めたものの、聞き入れられなかったようです。
「とらや」を商標登録しておかなかった松竹も間抜けですが、映画の人気を利用して「とらや」を名乗る店も……ですね。
「近ごろはカネ儲けしか考えん人間が、この門前町にも増えてきました」
劇中で御前様の放った皮肉が効いています。

