作品概要
「男はつらいよ お帰り 寅さん」は2019年12月27日公開のシリーズ最終作となる50作目。寅次郎の甥の満男を主人公とし、CGによって所々に寅次郎の姿が挿入されています。
作品自体は蛇足の極みですが、監督も出演者もファンも、これでみんな、ようやくスッキリできたのかもしれません。
評価:★★☆☆☆
主なキャスト
- 諏訪満男(寅次郎の甥):吉岡秀隆
- 車寅次郎(満男の伯父):渥美清
- さくら(満男の母):倍賞千恵子
- 博(満男の父):前田吟
- 三平(カフェのマスター):北山雅康
- あけみ(タコ社長の娘):美保純
- 御前様:笹野高史
- 高野節子(満男の担当編集者):池脇千鶴
- ユリ(満男の娘):桜田ひより
- 一男(泉の父):一男:橋爪功
- 礼子(泉の母):夏木マリ
- 泉:後藤久美子
あらすじ
満男は初恋の女性だった泉の夢を見ていた。それぞれ違う道を歩むことになったが、今でも泉は満男にとって特別な存在のままだ。
小説家になった満男がサイン会を行っていると、国連職員として来日した泉があらわれる。久しぶりに再会した満男と泉は3日間を共に過ごし、またそれぞれの生活に戻っていったが、二人のあいだには初恋とは違う形の愛情が生まれていた。
感想・考察
山田洋次監督は渥美清が存命だったころから「男はつらいよ」シリーズを50作まで撮りたいと考えていました。しかし1995年の48作「寅次郎紅の花」のあと96年に渥美清が亡くなってしまったので、過去作の映像を廃物利用して苦し紛れに作ったのが49作「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」でした。
49作まで作ったからには、どうしてもキリのいい50作まで作りたいと思うもの。山田監督はそのタイミングを1作目の公開からちょうど50年めとなる2019年しかないと早いうちから考えていたんでしょう。
一つの映画作品が50年も続けば、出演者の多くが鬼籍に入っているのは当然。そこで、シリーズの主な出演者たちがいつごろ亡くなったのか調べてみました。
鬼籍に入った出演者たち
- 森川信(初代おじちゃん):1972年3月26日(60)
- 志村喬(博の父) :1982年2月11日(76)
- 笠智衆(御前様):1993年3月16日(88)
- 渥美清(寅次郎):1996年8月4日(68)
- 太宰久雄(タコ社長):1998年11月20日(74)
- 下條正巳(3代目おじちゃん):2004年7月25日(88)
- 松村達雄(2代目おじちゃん、他):2005年6月18日(90)
- 谷よしの(旅館の仲居、花売りなど):2006年2月4日(89)
- 関敬六(ポンシュウ、他):2006年8月23日(78)
- 三崎千恵子(おばちゃん):2012年2月13日(91)
これだけの出演者が他界したあとでも50作目を撮ることができたのは、シリーズ後半で実質的な主役を寅次郎から甥っこの満男に変更していたことが功を奏しました。吉岡秀隆の演じる満男がいなければ、シリーズはもっと早いうちに終了していたかもしれません。
なお、今作にも出演していた源ちゃん役の佐藤蛾次郎は2022年12月9日に亡くなっています。
変わったところと変わらないところ
20年も経てばいろいろなところが変わっていてあたりまえ。でも寅さん映画ですから、なにもかも変わっては成り立ちません。
まず、大きく変わっていたのが満男と泉の関係です。
幻の49作となった「寅次郎花へんろ」での満男と泉は無事に結婚する筋書きでしたが、今作での二人はそれぞれの道を歩んでいます。
寅さんファンとしては満男と泉が家庭を築いたところも見たかったと思いますが、結局は結ばれぬ二人だったというほうが納得感はありますね。そもそも満男と泉は釣り合ってなかったし。
満男は「くるまや」ファミリーの愛情を一身に受けて育ったのに対して、泉は父親が愛人を作って両親が離婚。そのため高校を3回も転校するなど理不尽なハンデを負わされながら多感な時期を過ごしました。そんな境遇にも負けずに自ら道を切り開いた肉食系のバイタリティーは、草食な満男にはない生命力です。
それだけに満男にとって泉は高根の花。なにしろ妻の七回忌の日に泉の夢を見るほどですから。これじゃあ亡き妻も浮かばれませんね。
そんな満男が売れっ子の小説家になっている設定には驚かされます。
浪人して入った三流大学を出て、ようやく入った中小企業。47作「拝啓車寅次郎様」のあとは、性にあわない営業に疲れながら若くしてたそがれている満男の姿が描かれていました。それが、いつの間にかベストセラー作家とは。
ただ、そうした下地は過去作ですでに見られました。
満男は小学生のころから国語の成績は良かったようで、寅次郎のことを書いた作文でいい点数をとって本人を怒らせていました。また、寅次郎とマドンナたちとの恋を間近で見ていたことで、人間を観察する眼が養われたのかもしれません。
対照的に博とさくらが暮らすのは、あの懐かしい団子屋。
店舗だったところはカフェになって団子屋の店員だった三平がマスターになっていますが、茶の間は昔と同じまま。違うのはおいちゃんとおばちゃんがいないことだけです。
隣りにあった印刷工場もタコ社長亡きあとはアパートになり、今は社長の娘あけみが息子と一緒に暮らしています。美保純が演じるあけみは33作「夜霧にむせぶ寅次郎」から出演していましたが、39作「寅次郎物語」が最後の出演となっていました。今作では20年ぶりに登場しましたが、あけみには40作以降も続けて登場してほしかったと思います。
老いてますますカッコイイ夏木マリ
泉の母の礼子を演じたのが夏木マリ。若い世代には「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の人と言うほうがわかりやすいかもしれません。撮影時点では66歳になっていた夏木マリですが、すげーカッコイイおばちゃんになってます。
礼子は夫の一男に裏切られ、バーの雇われママとして生計を立てていました。43作「寅次郎の休日」で泉は父の一男を連れ戻そうと九州まで行きますが、一男は愛人と幸せそうだったと泉に聞かされ号泣してしまうシーンがあります。
酒の入ったグラスを投げ捨て泣き崩れる姿は、気丈に見える礼子の弱さを垣間見せる名シーンでした。
すっかり別人になっている泉の父親
はい、ここからがこのレビューの本番です。
今作でどうしても許せないクソ設定を遠慮なく切らせていただきます。
その筆頭が泉の父・一男のキャスト変更。
43作で泉は、素朴で人の良さそうな女性と仲睦まじく暮らす父親の姿を見て「帰って来て」とは言えずに去ってしまいました。
この筋書きは一男を演じた寺尾聰と、愛人の幸枝を演じた宮崎美子という二人のキャスティングがあって成立した佳作でした。
それが……、
誰だよ、このクソオヤジは?
また山田洋次の悪いくせがでました。山田洋次は時々こういう意味不明の設定変更をします。
今作で泉の父を演じたのは橋爪功。山田監督の「家族はつらいよ」シリーズでも起用しているので出演させるのはかまいません。でも、せっかく寺尾聰が好演した朴とつな一男が、どこをどうしたらこんなクソジジイになるのかサッパリわかりません。
きっと、いや間違いなく娘役の後藤久美子も「なんで?」と戸惑ったと思います。
満男にカネをせびり、散々世話をかけた元妻の礼子の顔も見たくないとワガママ放題のクソジジイ。こんなキャラにするなら泉の父は亡くなっていた設定のほうがマシでした。
桑田佳祐、いらねえ!
もうひとつ文句を言いたいのは、主題歌を桑田佳祐が歌ったこと。歌っただけじゃなく、寅次郎の映像と一緒に仁義まで切っています。タイトルバックで桑田佳祐の歌が流れてきたときは、思わず「はぁ?」ってなりました。
49作では八代亜紀が主題歌を歌ってけっこう味のある歌になっていましたが、桑田の歌は完全に興ざめ。これも山田監督の個人的な好みで起用されたようです。ファンとしては倍賞千恵子か吉岡秀隆が歌ったほうが納得感がありました。
もちろん監督にはキャスティングをどうするか決める権限はあります。でも映画ってのはファンが楽しんでナンボ。老人の自己満足のために、今まで寅さんを観てきたファンをガッカリさせるのは違うだろ? と言わせていただきます。
傾いた松竹の経営を「男はつらいよ」シリーズで支えて「松竹の天皇」とまで呼ばれた山田洋次。そこから生まれたオゴリ・慢心を誰も指摘する人はいなかったんでしょう。そんな老害が「男はつらいよ」シリーズを貶めてしまったんじゃないかと思います。
どこまでも中途半端な作品だけど
今作の「お帰り寅さん」は突っ込もうと思ったら、まだまだツッコミどころ満載の駄作です。しかし、これ以上ひとつずつあげつらっては今作の意義を見失ってしまいます。
今作の意義は内容がどうであれ、ようやく「寅さん」が成仏できたの一言に尽きます。
劇中では今でも寅次郎は旅を続けていることになっていると思わせる場面が2つあります。
博とさくらが暮らす旧「くるまや」の仏壇には、おいちゃんとおばちゃんの遺影は飾られていますが、寅次郎の写真はありません。
そして泉が泊まることになったとき、「お兄ちゃんがいつ帰ってくるかわからないから2階は空けてあるのよ」とさくらが言います。
しかし、今作を観て寅次郎が今でも元気に旅をしていると思った人はいないでしょう。所々であらわれる寅次郎の姿も、まるでお盆に帰ってきたご先祖様のようです。そんな演出が、むしろ寅次郎の成仏を強く感じさせます。
だからこそ、満男は大好きだった伯父さんをモデルにした小説を書こうと決めたんでしょう。その書き出しからも、寅次郎が生きているのは満男の心の中であることがうかがえます。
今作は寅次郎が確かに生きていた48作「寅次郎紅の花」から数えても21年ぶり、それまでの月日を埋める数々のエピソードがあったはずですが、それらをバッサリ捨てているのでストーリーが薄っぺらいのはしょうがありません。この映画を単体で捉えれば山田洋次の自己満足で生まれた駄作に過ぎません。
しかし、それを言っちゃおしまいよ!
とりあえず、寅さんファンとしてはようやくこれで終わってくれたと人心地つくことができました。

