【あらすじ】
修道女のマーガレットはローマの修道院で暮らし始めるが、そこは悪魔の力で社会に不安と混乱を起こし、自らへの権威を復活させようと企む急進的なアンチ・キリスト派の教会だった。
マーガレットはルームメイトと街へ繰り出した夜、教会の策略で悪魔と交わってしまう。そして6月6日、彼女は悪魔の血をひく双子を産んだ。一人は女の子、もう一人は教会が待ち望んだ男の子だった。男の子はダミアンと名付けられ、駐ローマ米国大使のロバート・ソーンに託されることになった。
今作は1976年に公開された『オーメン』1作目の前日譚で、ダミアン出生までのエピソードが描かれています。前回1作目のレビューで、アンチキリスト派はディープステートの暗喩ではないかと書きましたが、今作でそれを確信しました。
ディープステートとはアメリカ国内を陰から操る巨大な権力のことで、一部の政治家や官僚、そして彼らに影響を及ぼすロビーストらが、その手先として活動しているとされています。
劇中、ローマ市民たちは社会を支配する権威に反発し、ときには暴動を起こします。これは、長い歴史のあいだ、自分たちを都合よく利用し続けてきた権力者たちへ反抗でした。
カソリック教会にとっては人々の信仰心が権力の源泉ですが、求心力を失った教会もこれまでのような権威を維持することが難しくなっています。そこで、アンチキリスト派と呼ばれる一部の急進的な勢力が悪魔の力を利用し、やがて社会に不安と混乱を呼び起こすことで、神への信仰心=教会の権威を取り戻そうと企んでいます。
ここがハッキリされたことで、なぜ神に仕える聖職者たちが悪魔と手を結んだのか、その理由が明らかになりました。
スーパーマンが黒人に? 行き過ぎたポリコレに悩むハリウッド
今作を含めた『オーメン』シリーズには、こうした社会を陰から操る既得権益に対するアンチテーゼが隠されています。そして、なぜ今になって『オーメン』が製作されたのか? その理由の一つには、ハリウッドを覆っている行き過ぎた「ポリティカル・コレクトネス」があるように思えます。
「ポリティカル・コレクトネス」とは、人種、性別、年齢、性的志向などに差別的な態度をとらないようにする思想のことで、日本でも2023年に「LGBT法案」が可決されました。そして、ハリウッドでは黒人俳優が演じる『スーパーマン』制作の企画が持ち上がったこともありました。これについては、さすがに行き過ぎだろうということで企画が廃止されたそうですが。

これほど極端ではなくても、なぜハリウッド映画では集団の中に必ず黒人やアジア人が含まれているのか、疑問に感じることが多くないでしょうか? バディものでも、片方が白人なら相棒は黒人とか、よくありますよね。
このように、ハリウッドでは過剰なポリコレが作品を制作するうえでの大きな障害となっていて、一部では「ハリウッドのポリコレ疲れ」とも言われています。ここに『オーメン』を現代によみがえらせた制作陣の意図が隠されているのではないでしょうか?
また、劇中に修道女が悪魔の子を産む出産シーンがありますが、局部が映っていることを理由に、全米映画配給協会は今作を成人映画に指定しようとしたそうです。もちろん日本版ではモザイク処理がされていますが、今どきネット経由でいくらでもXXXが観られる時代ですから、これもポリコレの一種と言えなくもありませんし、モザイクをかけさせる「映倫」という団体も古い権力組織と言えます。
今回の『オーメン』=ディープステート説は私の勝手な推測ですが、なんにせよ、1作目から謎のままだったダミアンの出自が明らかになったことで、50年ぶりに疑問が解消してスッキリしたというファンも多いのではないでしょうか。

