作品概要
今回レビューするのは、かつてテレビドラマとして放送されていた『男はつらいよ』のDVDです。
ドラマ版『男はつらいよ』は1968(S43)年10月3日から1969(S44)年3月27日までの半年間に全26回で放送されました。しかし、現存している映像は初回と最終回の2話だけ。当時は喜劇作品に対する評価が低かったというのが、ぞんざいに扱われてしまった一因のようです。
それでも初回と最終回だけでも残っていたのは『男はつらいよ』ファンには不幸中の幸い。ここでは激しくネタバレを承知のうえ、DVDの内容や初回と最終回のあらすじや感想など綴ってみたいと思います。
ドラマ版の主なキャスト
- 寅次郎:渥美清
- さくら:長山藍子
- 竜造:森川信
- つね:杉山とく子
- 散歩先生:東野英治郎
- 冬子:佐藤オリエ
- 道夫(さくらの恋人):横内正
- 諏訪博士:井川比佐志
- 雄二郎(寅の弟):佐藤蛾次郎
- 登(寅の舎弟):津坂 匡章(秋野太作)
DVDの構成内容
小林俊一プロデューサーによる山田監督へのインタビュー
おなじみの『男はつらいよ』の主題歌をバックに、「柴又帝釈天の横の道を行くと、江戸川の土手へ出る」と、フジテレビ露木茂アナウンサーによるナレーション。かつて耳に馴染んだ露木さんの声を聞くと、それだけで昭和へ引き戻されるような気持ちになります。
帝釈天題経寺や江戸川の河川敷、矢切の渡しなど映画でもお馴染みの光景が映し出されたあと、山田洋次監督からドラマ『男はつらいよ』が誕生するまでのエピソードが語られます。
そのころ既にフジテレビでは『おもろい夫婦』『くいしんぼ』など渥美清主演のドラマがヒットしていましたが、渥美清と小林俊一プロデューサーは次回作の脚本家として山田洋次に白羽の矢を立てます。山田監督は渥美清と会ったときに、彼の語りだけで物語が成立するんじゃないかと思ったそうです。
渥美清は長ゼリフこそが持ち味を活かせるタイプの俳優。そのためドラマの中盤ではあえて長ゼリフの多い脚本を書いたため、おいちゃん役の森川信さんは「こんなの覚えられねえよ」と文句を言っていたとか。
DVDの中では語られていませんが、渥美清の著書『わがフーテン人生』には、はじめて山田監督を訪ねたとき、渥美が語る不良時代や周囲にいたテキ屋の話などから車寅次郎というキャラクターが生まれたとあります。
山田監督は渥美清の死後、彼の若い頃のエピソードを伝え聞くにつれて、あれだけ長いつきあいだったのに、どうしてもっといろいろな話を聞いておかなかったのか、渥美清の目を通して見た日本人や日本の社会はどう映っていたのか、ちゃんと聞いておくべきだったと後悔したそうです。
『男はつらいよ』の主題歌が誕生するまで。作詞家・星野哲郎へのインタビュー
当初は「愚兄賢妹」のタイトルで企画されていたドラマですが、どうもこのタイトルでは……となり、小林プロデューサーは他に何かいいタイトルはないかと思案していたところ、演歌の歌詞に「つらいもんだぜ、男とは」というフレーズを発見。
そこからドラマのタイトルを『男はつらいよ』に決定し、この曲の作詞家が星野哲郎氏だったことから作詞を依頼したそうです。
DVDの中で小林氏は水前寺清子の歌と言っていますが、調べてみると北島三郎の「意地のすじがね」という曲のようです。
テレビドラマ版『男はつらいよ』第1回
ドラマ『男はつらいよ』の初回は、1968(S43)年10月3日(木)22時からの放送。東京駅のトイレで寅次郎が歯磨きをするところから始まります。
主題歌のあとに車家の家族写真が映され、さくらによる家族の紹介が行われます。
母親は家族写真を撮って間もなく病死。父親は仕事がうまくいかず酒に溺れ、さくらが中学に入ったころに死亡。長兄のユウイチロウは釣りに出かけて時化にあって死亡と、ことごとく家族とは死別するさくら。
次兄の寅次郎は幼い頃から出来が悪く、中学の頃に家を出たっきり。きっと、どこかで死んでしまったのだろうと諦めている様子です。
さくらは丸の内にある一流電器メーカーに務めており、慌ただしく出勤前の身支度をしながら親代わりに育ててくれた叔父(竜造)と叔母(つね)を紹介します。
ちなみに、おいちゃんの名前は映画版では「りゅうぞう」ですが、ドラマでは「たつぞう」となっており、自称「後家ごろしのタツ」だそうです。
長山藍子が演じるドラマ版さくらも映画の倍賞版さくらと違って、下町の娘さんらしい活発なキャラとして描かれています。
ちなみに映画5作目『男はつらいよ 望郷篇』では、長山藍子や杉山とく子、井川比佐志が出演し新旧の「とらやファミリー」が勢ぞろい。
長山藍子さんと倍賞千恵子さんのツーショットでは、「こっちが『元祖』さくらよ!」「なによ、こっちが『本家』さくらよ!」と、二人の心の声が聞こえてきそうです。

ある日、さくらは恋人とのデートの帰りに地下鉄で乗客に絡むヤクザと遭遇。しかもその男は地下鉄を降りてからも、さくらと同じ道をついてきます。その男こそ、18年前に行方不明となった兄の寅次郎でした。
その夜、寅次郎は仲間を集めて「とらや」でどんちゃん騒ぎ。テキヤ連中は口々に「自分は、どこそこ一家の○○と申します」なんて仁義を切るものだから、さくらドン引きです。
さらに、しつこく酌をしろと強要されたさくらがブチ切れたため、寅次郎は仲間を連れて出ていきます。「あんな兄なら、帰ってきてほしくなかった」と泣くさくら。
翌日、しょんぼり帰ってきた寅次郎は「とらや」を出ていきますが、中学時代の恩師である散歩先生の家に立ち寄り、幼なじみの冬子と再会。
すっかり美しくなった冬子に一目惚れした寅次郎、上がっていけと言われますが、昨夜は酒で失敗したばかり。同じ過ちを繰り返せないことくらいは理解できるようで、すぐに立ち去ろうとします。
しかし、ほんとうは冬子に引き留めてほしい寅次郎が仮病を使ったため、救急車で運ばれてしまいました。
と、第1回はここまで。
ここでの寅次郎は映画版よりもきっちりとヤクザで、渥美清もまだ若いためかギラギラしたエネルギーが感じられます。また脚本を書いた山田洋次も演じた渥美清も、初回ということで手探り感が感じられます。
まさかこの寅次郎が、のちに日本じゅうで愛されるキャラに育っていくなど、この時点では誰も予想できなかったことでしょう。
好き嫌いはあると思いますが、寅さんの原点と言える荒削りな初回は必見です。
第2話から25話までのあらすじ
第1話のあとは、静止画を使って第2話から25話までのあらすじが駆け足で語られます。
病院に運ばれた寅次郎は盲腸と診断されますが、その時の担当医が、さくらの夫となる諏訪博士でした。また、寅次郎が「とらや」に腰を落ち着けたところに舎弟分の登があらわれ、そのまま居着いてしまいます(第2話)。
あるとき京都に実母がいると知った寅次郎は会いに行くものの、そこにいたのは思い描いていた理想の母親像とは違いすぎる女性。さらに寅次郎とはタネ違いの弟・雄二郎がいることまでわかります(第11話)。
病を患った散歩先生が天然のウナギを食べたいと言うので、寅次郎は舎弟の登を連れて荒川にウナギを釣りに行きます。なんとか一匹だけ釣り上げたウナギを届けに行った寅次郎ですが、散歩先生は椅子に座ったまま、すでに息を引き取っていました。
散歩先生の葬儀を取り仕切る寅次郎ですが、そこに冬子の恋人であるバイオリニストの藤村(加藤剛)があらわれ、寅次郎は自分の恋が終わったことを悟ります(第25話)。
そして、いよいよドラマは最終回へ。
ここまでのエピソードは映画版で再現されていたものばかりですが、それだけに今となっては見比べてみることができないのが残念です。
いよいよドラマ版『男はつらいよ』の最終回
散歩先生の墓を参る寅次郎。しかし墓は木製の質素なもの。ポケットから出したウイスキーを墓にかけながら、寅次郎は「先生、一発当てて立派な墓を作ってやるからな」と語りかけます。
学生のころはよく叱られた散歩先生でしたが、実の父に疎まれていた寅次郎にとっては父以上の存在だったのかも知れません。
「でも、たまにね。眠れねえ夜なんて、しみじみ思うんだ。男はつれえな、って……。先生、ほんとに、つれえよ……。」
映画版の寅次郎には毎回新たなマドンナがあらわれますが、ドラマのマドンナは冬子だけ。その冬子にルックスも社会的なステータスにも恵まれた恋人がいると知り、男としてどうしても敵わない敗北を痛感する寅次郎。誰にも言えない弱音を散歩先生の墓前に語りかけます。
18年ぶりに故郷の柴又へ帰ってきた寅次郎ですが、妹さくらは嫁に行き、「とらや」は人手に渡り、父と慕った散歩先生は急死。惚れた冬子も嫁ぐことになり、寅次郎には寂しさばかりが募ります。
その夜、「とらや」の皆は口々に元気のない寅次郎を気にかけます。そこへ帰ってきた寅次郎、なぜかすっかり元気を取り戻した様子で一同を安心させます。しかし風呂へ行くと外に出た寅次郎は、そっとガラス戸ごしに侘びながら立ち去ります。
散歩先生を亡くした冬子を訪れる寅次郎。縁側に腰掛け、かかっているレコードに「この歌は、なんて歌なんですか?」と訊きます。
ショパンの「別れの曲」と聞いた寅次郎は、「別れと言うと、旅人の歌ですかね。旅人の気持ちは洋の東西で一緒なんですかねぇ」と、しみじみ。
自分に対する寅次郎の気持ちを知っている冬子は、「ごめんなさい。ほんとに、ごめんなさい」と謝り、寅次郎を慌てさせます。
このあとの物言わぬ二人が、なんとも切ないシーンです。
それから3ヶ月。
妊娠中のさくらを、おばちゃんが訪ねます。二人が寅次郎の消息を案じているところへ、寅次郎とはタネ違いの弟・雄二郎が訪れます。
雄二郎は寅次郎と一緒に、奄美大島へハブを捕りに出かけた話を始めます。ハブを穫ればカネになる。そのカネで散歩先生に立派な墓を建ててやろうと寅次郎は考えたようです。
順序立てて進める雄二郎の話を、最初はおもしろおかしく聞くさくらとおばちゃん。しかしここでは雄二郎の回想シーンとしてハブに噛まれた寅次郎の最期が描かれます。
唖然とする二人の前に、雄二郎は寅次郎の帽子を差し出します。
泣き崩れるおばちゃん、ぼんやりと呆けたさくら。窓の外からは金魚売りの声が、のどかに聞こえてきます。
その夜、寅次郎の法事をしなければという博士に、「お兄ちゃんが、ひょっこり帰ってきたらどうするの?」と、さくらは納得しません。どうしても、寅次郎の死を受け入れることができないようです。
寝つかれぬ夜を過ごすさくら。テーブルの上に置かれた帽子を眺めていると、ふいに寅次郎があらわれます。
「やっぱり帰ってきたのね!」と喜ぶさくらに、「あんちゃん、今度ばかりは参ったよ」とにっこり笑う寅次郎。ところが、ほんの一瞬目を離した隙に寅次郎は外へ。
素足のまま寅次郎を追いかけるさくら。ようやく追いついた途端、寅次郎の姿はふっと消えてしまいます。博士の胸に顔をうずめながら、何度も「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と泣き続けるさくら。
放送終了のあと、フジテレビに抗議の電話が殺到したと言われるのが納得のエンディングでした。
映画版の『男はつらいよ』しか知らなかったぼくにとって、初回は長山藍子さんのさくらに違和感がありましたが、この最終回を観ると、やっぱり「本家さくら」は長山藍子さんなんだと感じました。
美術スタッフによる座談会
小林俊一プロデューサーと3人の美術スタッフによる座談会では、寅次郎の衣装をどうやって決めていったかなどの制作秘話が語られます。
寅次郎が下げているお守り、当初は帝釈天のものではなく成田山のものだったこと。背広の生地が婦人服のものだったこと。ドラマで使った帽子は打ち上げで景品にしてしまったため映画化のさいにスタッフから返してもらったこと、などが語られています。
エンディング:関敬六と谷幹一による渥美清の墓参り
DVDの最後は、浅草の芸人時代に渥美清とトリオ「スリーポケッツ」を組んでいた関敬六と谷幹一による渥美清の墓参り。関敬六は映画版で寅次郎のテキヤ仲間「ポンシュウ」を演じたことでもお馴染みですね。
関敬六さんは2006年に78歳で、谷幹一さんは2007年に74歳で亡くなっています。一足先に旅立った渥美清とは、天国でまた「スリーポケッツ」としてお笑いを演じているのかも知れません。お三方のご冥福をお祈りします。
レビューのまとめ:ボッタクリ価格から適正価格へ
ようやく、このブログでドラマ版『男はつらいよ』を紹介することができました。
と言うのも、このDVDの価格が4,000円もしていたので、なかなか購入する気になれませんでした。初回と最終回しか残っていないのにこの価格はないだろう、と思っていたのが購入に踏み切れなかった理由です。
ところが久しぶりにチェックしてみると、なんと2,000円ほどに価格が下がっていたのでポチりました。まあ、これくらいが納得できる価格ですね。
フジテレビとしてはカネのかからない企画物なのに、ファンの足元を見るようなボッタクリ価格を続けていたのはいかがなものでしょうか?
そもそも当時すでに元を取っているコンテンツですし、初回と最終回しか残っていない不完全な作品です。それに4,000円もの価格を設定していたのは、アコギとしか言いようがありません。
フジテレビに限らず、未だに高値をつけている旧作は多々あります。しかし動画配信サービスの普及でコンテンツの流通量が急増している今日では、もうボッタクリ商売はできないことに気づいてほしいと思います。
映画版『男はつらいよ』が作られた、ほんとうの理由?
奄美大島でハブに噛まれて死んだ寅次郎。
喜劇なのに主人公が死んでしまう衝撃のエンディングとなったため、放送終了後は抗議の電話がフジテレビに殺到したそうです。その中には現役のヤクザまでいたというのは、ファンにとってはよく知られた話ですね。
寅次郎の死によって多くの寅さんファンを悲しませた。だから山田洋次監督は映画で寅さんを蘇らせた、というのが「定説」になっています。つまり、ファンのために映画化したと。
ところが、この「定説」に異を唱える人がいます。それはドラマ版から映画版まで寅次郎の舎弟・登を演じた秋野太作(当時は本名の津坂 匡章)さんです。
秋野太作さんの著書『私が愛した渥美清』によると、山田洋次監督はドラマで成功した『男はつらいよ』を手土産として松竹に持って帰り映画化を画策。渥美清も映画化を望んだため、山田監督はドラマの続編を作れないように寅次郎を殺した、というのが秋野さんの言い分です。
また渥美清さんが亡くなったとき、映画の出演者たちが山田監督に集められて葬式のリハーサルをやらされたことも暴露。前田吟さんは「あれには参ったよ、葬式のリハーサルなんて人生ではじめてだよ」とぼやいていたそうです。
癌に侵されながら寅次郎を演じ続けた渥美清さんですが、映画は48作で終わりを迎えました。しかし、山田洋次監督は49作目も予定していました。普通なら、とっくに絶対安静で最期を過ごしている癌患者に、まだ「寅さん」を演じさせようとしていたようです。
こうしたことでも、渥美清は松竹に飼い殺しにされたと秋野さんは書いています。
もちろん、こうした見解は秋野太作さんの主観に過ぎないかも知れませんが、この著書を読むと映画版の『男はつらいよ』が誕生した裏事情に愕然とします。
この本は絶版となっているので今となっては古書として入手する他ありませんが、なかなかショッキングな裏事情が書かれているので、『男はつらいよ』ファンにとっては一見の価値がある一冊です。