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男はつらいよ 寅次郎純情詩集(18作)人間はなぜ死ぬのでしょう

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男はつらいよ
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作品概要

「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」は1976年12月25日に公開されたシリーズ18作目。生と死という重いテーマを人情と笑いで包んだ、切なくも心温まる喜劇。

薄幸のマドンナ綾を演じる昭和の大女優 京マチ子の緩急自在な名演技と、その娘 雅子を堂々と演じた当時まだ22歳の檀ふみにも注目です。

いつもは寅次郎の恋をハラハラしながら見守る妹さくらが、今回は積極的に背中を押す異例の展開。そして、見終わったあとには悲しくも心がほっこり温まるような佳作となっています。

評価:★★★★☆

主なキャスト

  • 車寅次郎(主人公):渥美清
  • さくら(妹):倍賞千恵子
  • 竜造(叔父):下條正巳
  • つね(叔母):三崎千恵子
  • 博(さくらの夫):前田吟
  • タコ社長(隣りの印刷工場の経営者):太宰久雄
  • 題経寺の御前様:笠智衆
  • 源ちゃん(寺男・寅の舎弟):佐藤蛾次郎
  • 大空小百合:岡本茉利
  • 柳生家の婆や:浦辺粂子
  • 柳生雅子:檀ふみ
  • 柳生綾:京マチ子

あらすじ

今日は満男の家庭訪問。若くて美人の先生がくると聞いて、寅次郎が帰ってくるのではと心配する竜造とタコ社長。しかし、こんなときこそあの男は帰ってくる。

予想どおりタイミングよく帰ってきた寅次郎、家庭訪問に同席すると博とさくらを押しのけて自分の話ばかり。

そのうえ、父親は職工どまりだから満男は一流大学に入れたいとまで言い放ち、家族みんなを怒らせて出て行ってしまう。

長野を訪れた寅次郎は、別所温泉で顔なじみの旅芸人「坂東鶴八郎一座」と再会。その夜は見栄を張って一座をもてなすが、翌日は宿代を払えず無銭飲食で捕まってしまう。報せを受けたさくらは慌てて長野へ駆けつけた。

柴又に戻ったさくらは、雅子先生くらいの娘がいてもおかしくない歳だと寅次郎をたしなめる。「もし先生に美人のお母さんがいたとして、その人に惚れるならいいけど」と言った矢先に、雅子先生が美しい母親の綾を連れてきて絶句するさくら。

綾は柴又にある旧家のお嬢さまだが、落ちぶれた家を救うため意に沿わない結婚をさせられたうえ、雅子を産んですぐ病弱を理由に離縁された不幸な女だった。長い闘病生活から解放されて喜ぶ綾は寅次郎と親しくなるが……。

感想・考察

今作は人間にとってもっとも大きな関心事であり、もっとも目を背けたいことでもある「死」をテーマに描かれています。

芝居小屋で旅芸人一座が演じていたのは徳冨蘆花とくとみろかの小説『不如帰ほととぎす』。病のせいで夫と離縁させられた女性が死んでいく物語。

「人間はなぜ死ぬのでしょう」と看板女優の大空小百合が言ったセリフが今作のモチーフとなっています。そして、このセリフは後半でもう一度、綾の口から寅次郎に投げかけられます。

寅次郎は「人間が増え過ぎたら、端の人が陸地から海に落っこちるからじゃないんですか? ま、深く考えないほうがいいですよ」とちゃかしながら答えていますが、実際のところ、そんなものかもしれません。

今作からずっと後の作品になりますが、39作目『男はつらいよ 寅次郎物語』の中で満男と寅次郎とのこんな問答があります。

満男:「人間は、なんのために生きてんのかな?」
寅次郎:「生まれてきて良かったなって思うことが、なんべんかあるじゃない。そのために生きてんじゃないのか?」

その日その日をただ生きる。生きることに意味なんてなく、死ぬことにも理由なんてない。人の一生なんて、ただそれだけのものかもしれません。それでも生きる意味を探してみたり、歳をとると何かし忘れたことがあるんじゃないか、と後悔するのが人の性でしょうね。

美人薄命を絵に描いたようなマドンナ綾を演じる京マチ子ですが、「とらや」に現れた瞬間パッと目を惹く存在感はさすが大女優の貫禄。自分の見せ方をよくわかっている演技です。

最初は、ふくよかな体形と派手な目鼻立ちが薄幸のマドンナにはミスマッチな気もしましたが、落ち葉の積もる庭先で寅次郎と語り合うシーンでは天命を悟ったような演技に目を惹かれます。

京マチ子はけっこう好きな女優さんで、とくに1977年のドラマ版『犬神家の一族』で演じた犬神スケキヨの母、松子が印象深い作品です。ラストシーンでの火を掲げながら不敵に微笑む顔は怖いほどの美しさでした。

檀ふみが演じた雅子先生もまた不幸な身の上です。実の父に母と一緒に捨てられ、病弱な母のために正規の教員として働くことができなかった。そんな生い立ちでも子どもたちが好きで、新しい赴任先の新潟でも元気に過ごしています。

雅子の明るく芯の強さを感じさせる性格は、どこかさくらとも共通するところがあるようにも思えます。もしかすると、こういうタイプが山田洋次監督の理想の女性像なんでしょうか?

檀ふみは42作『男はつらいよ ぼくの伯父さん』にも出演しますが、その回での彼女が寅次郎のマドンナか否かはファンの間で意見が分かれるようです。もう少し寅次郎と歳が近ければハッキリとマドンナ役を演じられたのかもしれませんが、ストーリー的にマドンナ扱いはムリかと。

世間知らずな綾がもし店を持つとしたら、どんな店がいいだろうかと「とらや」の人たちが話し合うシーンがあります。そのあと綾にピッタリの店を思いついたと、柴又駅から旅に出る寅次郎がさくらに聞かせるシーンも心を打たれます。

そして、いつもとは違って妙にサバサバした表情で去っていく寅次郎の気持ちも、わかる気がします。自分が綾の最期にささやかな幸せを与えられた。寅次郎なりに綾への愛をまっとうできたからでしょう。「顔で笑って腹で泣く」という主題歌の歌詞がふと頭に浮かびました。

もうひとつの注目ポイントは、さくらの表情。ふだんは寅次郎の母親かと思うほどしっかりしたキャラクターですが、寅次郎をたきつけておばちゃんにとがめられたときは「だってぇ、しょうがないじゃない」とすねる少女っぽいさくらが見られます。

今作は前半の展開がドタバタし過ぎるうえに、寅次郎のワガママぶりも度を過ぎているように思えます。しかし、寅次郎は元々そういう男です。

第1作目では20年ぶりに帰ってきた早々、さくらの見合いをぶち壊して「とらや」ファミリーから縁を切られてもしょうがないほど滅茶苦茶な行動をしていました。

そんな寅次郎も回が進むごとにおとなしくなってきましたから、前半のデタラメな行動はむしろ本来の寅次郎らしい原点回帰と言えるかもしれません。

迷惑極まりない男だけれど、惚れた女や弱い者には徹底的に優しい。そんな寅次郎のキャラをもう一度ハッキリさせるために、あえて傍若無人に振る舞わせたんじゃないでしょうか。

今作はシリーズ中でも異例な展開なので観る人によって賛否が分かれそうな作品ですが、見終わったあとの心にぽぉっと暖かい火が灯るような、しっとりとした佳作になっています。